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円の世界では、金の切れ目が円の切れ目です。お金があるからつながっているだけの関係です。そこでは人間のいい面が出ません。1円でもたくさん入ってきた方がいいですし、お金が欲しくてサービスをしているわけです。誰が一銭にもならない、こんな汚い年寄りの相手をしなければいけないのかと、おなかの中では思っているかもしれません。仕事だからしているということになってしまいます。しかしその同じ人間が、人の活動を評価する違う仕組みがあると、違う面が出てくるんです。そういうことがわかってきました。
さわやか福祉財団がやっている時間預託制度というものがあります。これは自分が若い時に介護サービスをして、その時間をためておいて、年をとって自分が必要な時にサービスをしてもらうというものです。具体的には幾つか方式があります。いったんそれを全部預託して自分のものではなくしてしまってただ権利だけあり、自分が年をとった時にその点数の分だけサービスをしてもらうという仕組みもあれば、完全に自分の点数にしてそれをシステムを運営しているところに自分の時間を預けておくという仕組みもあります。日本で行政が積極的に運営しているような地域通貨のスタイルではそういう時間預託制度の仕組みというのはかなり多いです。非常にうまくいっているところもあります。行政の力に頼らないという形で時間預託の仕組みを運営しているところもあります。かなり大きくなっている団体が大阪にあるそうです。今のままの円を仲立ちにしない関係で、私たちの労力や物などを交換しあえたら、人間は凄くいい面が出てくるということがあります。それは今の社会に1番要求されていることではないでしょうか。
今まで所得格差が激しくなるような競争ばかりやっていました。これはいい面もあります。人間のやる気を出しますし、普通の円の経済、お金というのは非常に大切です。ヨーロッパなどで地域通貨をやっているところにはスローガンがあります。国の金はためておけ、桜貝の金を使え。桜貝の金というのは地域通貨なんです。やはり人間は周りのすべて、他人や世の中の仕組みやそういうものを100%信じることは出来ません。だから信じられない部分はお金に頼ろうと取っておきます。ただ、ためておくばかりだと年をとった時に1人ぼっちになって、親切に寄ってくる人はみんなそのおじいちゃんのお金が欲しいのだというふうになって大体幸福にはなれません。だからもう半分の違う仕組みで社会生活をするということも必要なのではないかと考えられてきています。地域通貨はそういう動きの中で出てきたんです。
地域通貨では今ある仕組みの何かを変えろ、こう変えてこうしなさいというようなことは一言も言いません。今あるかかわりはそのまま全部あるでしょう。新しい何か地域通貨のようなものを始めなければそれが続くだけです。昨日のように今日があり、今日のように明日があるというだけです。そこには犯罪もあれば年寄りが死んでも何週間も気づかれないで放っておかれるという現実もあります。けれども、その中で人は切磋琢磨し何とかして富を手に入れよう、豊かになって自分の望みを実現しようと努力しています。しかしそれだけではだめです。もう1つの関係、補う仕組みも必要です。だから地域通貨は補完通貨と呼ばれるんです。東洋の道教の考え方に陰陽というものがあります。人間の体では神経系が2つあります。交感神経と副交感神経です。昼間は活動するための神経系が活躍して、夜になると休んでエネルギーをためる別の神経系に交替するわけです。それを繰り返します。世の中もいろいろな形で陰と陽がつりあっています。それでバランスが取れて回っています。
ところが経済の現実を見てみるとバランスが欠けているんです。地域通貨がないのは円の経済だけだということです。つまり陽経済だけで今の仕組みが動いています。今までは人が強い時にしか生き抜けないような陽経済だけでみんなが生活していたわけです。そうするといろいろな問題が起きてきます。介護の問題もそうだし、失業の問題もそうです。あるいは環境の問題とか、今起こっている問題の原因は全てそこにあるのではないでしょうか。私はいろいろなところに話しに行きますが、地域通貨の関係で話す時、大受けする話題は決まっているんです。環境です。日本の森は死んでいますから、林業関係者に話をすると大受けです。漁業関係者にも大受けです。日本の海の沿岸は今、東北地方からずっと磯焼けです。磯焼けというのは海の中に何も生物がいない状態です。漁師たちは魚は山にいると言い、山に木を植えに行っています。そのように行動しなければならないぐらいの状況になっています。日本の林業は膨大な赤字を抱え、特に林業などで生活している山間地域の人たちを何とかしようということで、今までお金をたくさん注ぎ込んできました。手を打たなかったわけではありません。けれども日本の森は相変わらずで、どんどんひどくなっています。何故でしょうか。円を注ぎ込んだからです。
今私たちが使っている国民通貨である円はいろいろな性格を持っています。その中で1番基本的な性格というのはどこでも使えるということです。国民通貨のようなお金が信用、金どまりの世界を作ってくれたんです。田舎から都会に出てきた人が、都会は本当にいいと言います。田舎にいると周りがうるさい、都会に出てきたらアパートに住んでも隣は何する人ぞで全く無関心、自分1人の時間が持てると言うんです。田舎にいると何から何まで分かってしまいます。最近3軒隣のどこそこで娘が帰ってきたみたいだけれども、離婚でもして戻ってきたのかいとか何から何まで全部、近所の人がお互いに知っているわけです。きっと姑と折り合いが悪かったに違いないとか、子供のころからあの娘は性格がちょっと変だったよとか。そういうのが嫌で多くの人が都会に出てきました。今のお金が自分のことを明かさなくてもいい自由な状態を作ってくれたんです。
お金を持って買い物に行くと、住所や名前を絶対に聞かれません。店に買い物に行って千円札を出したら、あなたの名前は何ていうんですか、住所をちょっとここに書いてくれませんかなどということはありません。総理大臣が千円札を持っていっても、子供が千円札を持っていっても、ホームレスのような格好をした人が持っていっても千円は千円なんです。物を売る人は買う人を見なくなり、千円札を見ている状態です。これはいいことなんです。近代の民主主義に基づく社会の基礎を作ってくれたんです。ところがそういうことがいいと思って都会に出て少しすると、孤独にさいなまれて悩むようになります。昨日も今日も明日もずっと誰も私のことを構ってくれない、誰も私の話し相手になってくれないということになるわけです。そして中には精神に異常をきたす人もいます。人のつながりが欲しい、しかしつながりを持つことは怖いというような状態になります。そして人間的なつながりに凄く飢えるようになります。
しかし自分が最初にこの状況を求めたのです。1人になれて自分の秘密を明らかにしなくていい、プライバシーというのは非常に大切なことだと考えているとすれば、今のお金の仕組みがプライバシーを実現してくれています。お金の次元だけで人間の関係が出来るんです。つまり金の切れ目が縁の切れ目の状態に入っていくことができるわけです。ところが物ごとは何でも陰陽のバランスがとれなければいけません。どんなものでも利点は欠点なんです。例えばきりんの首は長い、高い木の枝についている葉っぱを食べるには便利だからだ。これは利点です。けれども足元の草を食べる時には欠点です。食べにくくてしょうがありません。物ごとは何でも表と裏、利点と欠点、利点が欠点になることがあるし、欠点が利点になることがあります。お金の場合もそうです。今のお金はお金止まりの関係、誰にもわからない、つまり匿名性をくれました。自分のプライバシーを確立させて、自分の意思でこのことはこの人に教えてあげてもいい、このことはあの人には教えたくない、そういうことが判断出来るような社会をお金がくれたんです。だからお金は決して全面的に悪いわけではありません。
けれどもその利点は欠点でもあります。人とのつながりが出来ない、人と対立するだけだ、背き合うだけだ、そういう関係しかくれません。それは欠点です。でもこの欠点が利点になるような仕組みで補えば物ごとはうまくいきます。例えば今のお金は誰が使ったかわかりません。ちょっとこれを買ったのは人に知られたくないというような物も今のお金を使えば手に入ります。ところがそういうところから見て欠点に見えるようなお金があってもいいじゃないですか。それは誰が使ったかわかるお金、誰となら使ってもいいと自分で決めることが出来るお金、そういう仕組みです。その仕組みでは、やはり自分の情報を少し出さなければいけません。自分は何という名前で、どんなことが出来て、いつも何が欲しいと思ってる、こういう性格だとか。そういうことがわかってしまってもいいという関係があってもいいのではないでしょうか。地域通貨というのは今のお金が持っている欠点が利点のお金なんです。今のお金が持っている利点の方が欠点になるので地域通貨というのは人に内緒で何か知られたくない物を買うのには適していません。けれどもその2つが相合わさると世の中のバランスがとれるのではないでしょうか。
今までは陽経済のお金だけで考えていたから金、金になるんです。お金は幾ら持っていても困らないので、みんなお金が欲しくなります。お金は何か物やサービスをやりとりする時の仲立ちで、手段です。手段であって目的ではないんです。目的ではないのに、みんなが目的だと思ってしまっています。千円札を頭に載せただけでは、千円分利口になりません。千円分使って誰かに何かを教えてもらって利口になるわけです。財産をためてお金がこんなにありますと言っても、食糧危機で食べるものがない、みんな自分が食べるのに精一杯の時に、食糧を売ってくれないなら万札鍋を囲んで飢えを癒せるかというとそんなことは出来ません。1万円札をどろどろにしても、食べ応えがあるわけではありません。
ところで人間は今のお金を作った時に、まだほかに役目を期待しました。それはお金はためておけるということです。自分は何か労働したりして財産を築き上げる、そういう時にお金を取っておける形にしたんです。お金にしておけば減らないようにです。お金は減りません。インフレやデフレがないとすると、今日千円札を持っていると明日も千円です。あさっても千円、50年後も千円です。現金で持っている時は利息は付きません。けれどもずっと減らないんです。ところがお金以外の物は全部減ります。人間などは典型です。娘十八、番茶も出花といいますけれども、10年ぐらいたつと、お肌の曲り角がきてだんだん年をとります。世の中のものは全てそうです。資金としてお金を手に入れて、それを何かに投資してこういう工場を始めた。資本設備をいろいろ備えて、人を雇って働いてもらって事業をした。そういう時に、物の形にしたら減価償却費を積み立てるでしょ。全部値打ちが減っていくからです。
お金の形で持っていれば減りません。永久です。寿命がないんです。世の中のものはみんな年をとって、いつかなくなっていきます。立派な建物もいつかなくなります。この世の中のものは何でも腐るんです。我々もそうです。全てがそうです。速い遅いはありますが、新聞などは速いですね。次の日になると、ちり紙交換に出すしかないぐらいに値打ちがなくなります。今日の日付の新聞は明日はごみです。物凄く足が速いです。腐ってくるスピードが遅いものもあります。20年、50年もつものも。しかしいずれにしてもいつかだめになります。
人間もいつか死にます。赤ん坊で生まれて老人になって死にます。しかしこの世にいる間に何か有意義な活動をし、富も築きあげて後に続くものに引き渡していきたいと願います。そういう時に減っていかないものが要るんです。永遠の命を持ちたいと思うんですね。人間はお金を使います。犬や猫がお金の仕組みを持っていますか。持っていないです。人間だけが持っています。永遠なものを求めたいという気持ちがどこかにあるからです。自分が生きている間に作りあげた資産を永遠なものとして子孫に受け渡していきたいという気持ちを持ってしまうからです。あるいは本人自身が秦の始皇帝みたいに永遠の命を持ちたいと思ってしまうこともあります。そうするとみんながそう思っていますから、それに適したものを選び出すんです。この自然界で時間がたっても減らないものが幾つかあります。その中で人が選んだのは金(きん)です。金は千年間置いておいても金です。古代の遺跡から黄金の何かを掘り出して溶かせば、それは今でも金です。御徒町の辺りにある金を扱う業者のところに行けば、ちゃんと量ってくれて今の金相場で買ってくれます。金は変質しません。
それと同時にお金は取引の仲立ちをします。ですから物差しの役目もしなければなりません。金は均等に分けて端の方と真ん中で質が違うということはありません。豆腐もそうです。それなら何故、どこで切っても質が同じなのに、人は物差しとして豆腐通貨を作らなかったのでしょうか。豆腐は物差しの役目は果たすけれども、値打ちが変わらないという不老不死の願いをかなえてくれないからです。豆腐は次の日になると味が落ちてしまうし、その次の日になると腐ってしまいます。金だけがいつまでも質が変わらないし、均等に分けられます。それに、誰もが黄金のきらめきに魅せられます。いろいろな条件を満たすということで金がお金に選ばれたんです。そして次に、金を直接お金として受け渡しに使うのは危ないし持ち歩くのに不便なので、人は金証券を作りました。金を扱う業者が金を倉庫に預かり、あなたの金を幾ら預かっているという書き付けを発行します。その業者に書き付けを持っていけば金の実物と交換できるから、それを金の代用にしてお金にしようということになってくるわけです。実際には金を使わなくなります。ただ、金で担保されるんです。
今のお金は担保されていません。日本銀行券も担保されていないんです。インクで印刷してありますけれども紙なんです。ほかにもいっぱい紙とインクがあるのに、何故それがお金なんでしょうか。みんながそれをお金として使おう、受け入れようと信頼しているからです。ほかの人も信頼しているに違いないと信じ込んでいるからお金なんです。日本円は日本国内では使えます。先進国でも使えるといっても、実際にアメリカに行ってその辺の商店で日本円で売ってくださいと言っても受け取ってくれません。ドルなら世界じゅうで使えますか。そんなことはありません。ドルでもたかだか世界の5割ぐらいの地域で使えるようなものです。ドルなんてお金ではないからやめてくれという国は今でもたくさんあります。
ニクソン大統領は金ドル交換停止をしました。それまでは日本の通貨が金で担保されていないといっても例えば1ドル=360円という固定相場制でドルと交換できました。アメリカはいざという時はドルと、持っている金を取り換えるという約束をしていました。だから金の裏付けがあるともいえました。それをやめてしまったんです。アメリカの日本銀行にあたるのは連邦準備銀行です。これは地域ごとに幾つかありますが、ニューヨークのマンハッタン島というビルがたくさん建っているところに、ニューヨーク連邦準備銀行があります。その地下の岩盤の上に、地震がきてもほとんど動かない地下大金庫室があり、その中に金がたくさんあるといわれています。ただ、あるといわれていますが誰も見たものはいません。けれどもアメリカには金があると信じられていました。アメリカはベトナム戦争などでドルを世界じゅうにばらまいて使いました。幾らアメリカが金を持っていると言っても、海外に何千億ドルも垂れ流して使って、本当にそれに見合う金があるのでしょうか。ところが、いよいよそういう嘘をつき通せなくなる時が来ました。それが1971年でした。そして金とドルの交換停止をしました。つまりドルは単なる紙になったんです。
その後もドルが使われているのは、みんながドルをお金だと信用しているからです。そして1972年に変動相場制が実施されます。それから世界じゅうの人がひどい経験をすることになります。お金が金(きん)という実態の裏付けをなくして幾らでも膨らんでいったんです。これを加速させたのが金融、銀行のシステムです。