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わがプルードンは1848年にこういっていた。
「ある国の生産物のある量を他国の生産物の等価な量と交換するためにいかなる貨幣も必要ではない。これは、貨幣がある国の生産物のある量と他国の生産物の等価な量と交換するのに必要ではないことと同様であるし、また、貨幣が二人の当事者の間で商品のある量を他者の商品のある量とバーターするためにも必要がないということだ。『交換券Bond'Echange』があれば十分なのだ。
我々に事前の貨幣借入れを介入させることを促す銀行という悪質な周旋屋はそこでなにをすることになるのか。なにも種を蒔かなかった場所で刈り入れもせずに、寄生的な先取りをするのだ。
ところで、この「交換券」こそが、生産者自身が、また彼らだけが確立する根拠こそが生産者の関心をひく。生産物を抵当とするproduitjustifie「交換券」でないものはなんであれ、担保を欠いたsansjustification「アッシニヤ」でしかない。・・・」(ジャン・バラル)
「理想的な圧制はその犠牲者がそれと分からず自ら管理されるものだ。したがってもっとも完璧な奴隷とはこの上なく幸福に、かつそれと知らずに我が身を隷属させる人たちである。」(ドレスデン・ジェームズ)
「貨幣価値をそのリザーブを使って正当化しようとの議論には深刻な欠点がある。なぜなら、価値の物質主義的概念に基礎を置いているからである。上記でわれわれが説 明したように、価値は物質の所有ではなく、一時的な関係とみなされるからである。 なぜならそれは常に予測や予見からなっている。ペンが価値を持つ場合、われわれは 書くということを予測する。貨幣もまたわれわれが購入することを予測するがゆえに 価値をもつ。通常、黄金の価値は金属の属性をもつものとして考慮され、従って、そ の「内在的価値」という誤った概念を登場させた。しかしどんな物とも同様に、黄金 はそれが価値をもつであろうとの同意を得てきたから価値をもっているのである。金 属が伝統的に貨幣象徴とみなされてきたために、生みだされた価値が慣習上金属に付 与されてきたのである。」(Giacinto Auriti)
貯蓄は死をもたらし−交換は生命を与える
宣言
公衆の理性が真剣に進歩の諸手段の研究に専念しており、 交換のシステムが広範な基礎の上で、有利な諸条件のなか で実践に移されねばならないようにみえる今日、もはや私 には沈黙を守ることは許されない。
交換の理論の最初の提起者であり、1829年以来、私 はある協会によって我が国の厚生を現実化しようと企て、 その支店は少なくとも6か月のうちに我が国境を越えて広 がり、商業企業の観点からみて驚くべき結果をみた。しか し、その生成が成熟することはなかった。フランスは人間 的な進歩を開始したが、けっして十分な準備ができている わけではなかった。そしてもう一度間違った方向へと向か い、明々白々たる真理の地平を知ることがなかった。私の 理念に広がりや、それに含まれる、さらにいうならその論 理の力やその流れが要求する詳細を与えず、むしろ私はじ ぶんの仕事を中断した、待つためである。
その後われわれは十分に前進した。誰もが時は来たとい う。交換とその、掲げられた旗幟の最初の擁護者は実践の 場に呼び戻される。私はここにいる! かつて我が著作で定めた以上の確信をもって、私は我が 周囲にあらゆるその理念の支持者たち、未来の闘士を集め る。かろうじて信仰をもつ人は、これらの人々が加わらな いとあえて告白するであろうか。
私は真理の理念である交換を宣言する。・・・
(フルクラン・マゼル、『交換の一般協会約款』、1849年) ・・・
「私はシルビオ・ゲゼルの魅力的な文体に熱中した。保有することが許されない貨幣の創設は所有をば別の本質的な形態で作り上げることに導くであろう。」(アルバート・アインシュタイン)[E.H.Schnell, Kapitalismus und Freiwirtschaft,1947, S.146.]
「歴史のどの時期でも・・・われわれはやり口の似た事実に気づく・・・それは一定の人間が他者 の財を領有するために策略を使うことを可能にするものだ。われわれが変わらなさとして主張しうるのは、人間の活動が二つの異なった仕方で行使 されることを歴史がわれわれに明らかにしている ということである。生産ないし経済財の加工にこだわるか、あるいは他人が生産した財をs領有することに執着するか、である。様々な人々の間で、 戦争は、古代ではいたるところで見られたが、強者が弱者の財を領有することを可能にした。そうした人々の間では、弱者から略奪することは法によるものであり、別の時代には革命によるものであった。」 (V. Pareto, Manuel d'economie politique,1909)
「現在、我々は”国家債務”にかかる利子を一日に百万ポンド近く支払っているが、その約三分の二は銀行が保有している。この利子が支払われる”元本”のほとんどは戦争の期間に帳簿記入で創造されたものであり、けっして現金のかたちで存在していたものではない。」(C.F.G.ギャロウェー、『豊穣の中の貧困』におけるペス・ヴィック、『国家債務』からの引用の重引。sans date. 戦前の書物です。)
「我々が享受している民主的で議会制の国家がこうした活動の水準にあるにしても、しかし経済的なまた社会的な理論の価値がそれが持つ機会には必ずしも依存していないとか、あるいは直接的には実践されないということが真実であると私は考えない。紀元2ないし3世紀のストア学派の何人かの哲学者は奴隷を解放するための道と手段とともに、奴隷制なき社会状態の厳格で正確な定式を与えたが、その計画がローマのあらゆる社会組織と矛盾することを人々に示し、どのような場合にもけっして適用されることはないであろうと主張する見事な役割を果たしたとき、短期的にみて人々が事物の秩序に満足する理由をもったにしても、そのことは彼らが真実と将来をもつのを妨げなかったのである。」(Leon Walras, Economie sociale,1885.)
「ランダウアーは民族の概念を実体からみる観点から解放した。民族は『ひとつの多様な関係』であるので、それは絶対性でありえず、その個性は一個の文化領域を形成するあらゆる諸民族との関係のなかでのみ決定される。それ自体として民族は存在しない。またひとつの民族の内部では異質な諸要素からなる、連合的な構造による関係性が形成されねばならない。こうした関係はさまざまな信念や確信による内部的な差異化である。人種ではなく、いわゆる関係をもつ個性や『類似性』、『差異における等価性』が民族を形づくる」(ThomasKeller, Die Personalismen der Zwischenkriegszeit und diedeutsch-franzoesischen Beziehungen: Wider die deutscheKontingenzscheu.)
「実際、もともとの民主主義システムはどちらかといえば量や 多数性、数字上の平均を偏重するものである。ひとが形式的 な民主主義から実質的な民主主義に向かって進化していき たいと感じるのはそのためである。エティエンヌ・ボルヌはこう 述べていた。『人格主義と民主制は相互に、事前に調和がある わけではないが、弛緩することなく調和を確立し、再確立する ものだ』と。そしてそのなかへと新−人格主義はかけがえのない 貢献をもたらすことができる。 −人格主義的民主制のために− 人柄(personne)を語ることは多元性(pluralite)を語ることと同じ ことである。人格主義は融通の効かない全体を包摂するような 仕方で市民社会を組織しようとは思わない。反対に、ありうべき あらゆる領域を保持することを望んでいる。 ムーニエの意図しているところは民主主義に実質的な中味を 与え直すことである。形式的で量を重んずる民主主義、それは 1789年のイデオロギすなわち個人主義と抽象化の非嫡出の 成果とみなされるが、それは少なくとも間接的な仕方で、貨幣が 支配する王国のなかで、自由と内発的に動き始める力を押しつ ぶしている。・・・」 (Attilio Danese, Critique de la democratie formelle et quelques idees neo-personnalistes pour l'avenir europeen)